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風来坊

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年12月15日(土)23時44分21秒
  「ご覧の通りの風来坊です」
は、ダン登場の名セリフ。
マイティジャック『マイティ号を取り返せ』
でも風来坊のように弾が登場する。
脚本の金城さんがご自分を置き換えているように見える。
特に『マイティ号を取り返せ』では、玉川学園で金城さんと同室だった二瓶さんと、セブンの森次さんとの共演は正に意図的に思える。風来坊の弾(森次さん)に、金城さん自身を投影し、二瓶さんとテレビの中で乾杯する。そして歌を歌う。正に玉川学園同窓会といったところだろう。
(wikiで、二瓶正也さんは玉川学園と書かれていないが、http://kirituki.blog78.fc2.com/blog-entry-1668.htmlで証言されている)

尚、ただのフワフワした風来坊ではないことには注意だろう。『マイティ号を取り返せ』は、「太平洋ひとりぼっち」のオマージュとも思えるが、円谷英二が昔、風来坊のように映画の世界に入り、風来坊のように特撮を試行錯誤し、また、公職追放解除の後に「太平洋ひとりぼっち」を作ったのも、"大海原ではあるが目的を持った風来坊"というような英二自身を投影しているように思える。
金城さんは、そういう経緯経歴にも共感していたと思える。"目的を持った風来坊"は金城さん自身でもあったろう。本土と沖縄の架け橋になるというような目的である。
 
 

火星大接近

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 8月 1日(水)01時44分28秒
  金城哲夫年譜
https://www.haebaru-kankou.jp/index.php/kinjo-kyakuhon/chronology.html
玉川学園では、金城さんは、金星人との友好サークルも作られたが、火星の様子も後々の活動に影響したかもしれない。
火星の過去の接近の年によると、
http://www91.sakura.ne.jp/~kay2/mars/mars1.htm
玉川大学に進まれた1956年に大接近している。

なお、1954年のゴジラにも感動されたが、玉川学園が標榜する『自己犠牲精神』を芹沢が表していることに感じ入られた可能性が考えられる。それは、ウルトラマンやセブンの生き方や、ウルトラマン「小さな英雄」に反映されていると考える。
 

アンドロイド0指令と魔法使いサリー初回

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 7月20日(金)03時14分10秒
  メモとして・・
ウルトラセブン「アンドロイド0指令」(上原正三脚本)の元ネタとして、魔法使いサリーの初回(https://youtu.be/riTgc9VUuOg)で、深夜デパートでのおもちゃが攻撃するシーン(20:40~)があるのではないか?
「地底GO!GO!GO!」(同)のタイトルも「マッハGO!GO!GO!」からと思われる。
 

「吉屋チルー物語」とウルトラセブン最終回

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 7月11日(水)22時31分43秒
  「吉屋チルー物語」(金城哲夫監督・脚本)
には、ウルトラセブンの最終回と共通点がある。
ネットでは、
https://youtu.be/Uihht39ui84

0:50~は吉屋チルーの歌会で正体を明かすシーン、7:40~はその後チルーとのやりとりの中で、「歌の道に身分の差(侍と百姓など)はない」と諭すシーンがあるが、これは、ウルトラセブンの最終回で、セブンが正体を明かし、その後人間と宇宙人(セブン)は差別はないとするシナリオ構成と共通している。
これは、金城さんと栫井氏との鹿児島旅行中、琉球人差別の話題で突然険悪なムードになったことからも、恐らく当時の沖縄人差別が念頭にあったと思われる。
そして金城さんの場合は、沖縄海洋博覧会の演出を担当する中で、世界の海の水を一つの大きな入れ物に注ぐというイベントにあるように、世界の人々の交わりと平等をも願われていた。
 

(無題)

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 6月21日(木)15時04分21秒
  なお、このペロリンガ星人は、まだ良い星人だったという印象を受ける。他のペロリンガ星人が地球征服をする前に、地球の荒廃をほのめかし、それに飽き飽きした人を先に救出するという意図が感じられる。色々味わい深い作品である。  

(無題)

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 6月21日(木)14時47分17秒
  「円盤が来た」のペロリンガ星人とセブンの対決シ-ン前後の映像は、1968年4月11日 に日本で公開された『2001年宇宙の旅』のラスト近くの光による異次元表現に刺激されたのではないかと思う。  

「円盤が来た」の出演者

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 6月21日(木)04時25分20秒
  「ウルトラセブン撮影日誌」(復刊ドットコム)p.293によると、丁度今から50年前の昭和43年6月22日に、「円盤が来た」の本編撮影として、最後のシーンのアパート前と思うが、金城、上原、宮崎の各氏が出演していることになっている。
ただ、これには偶然とも思えないことがある。
「円盤が来た」のゲンさんは、
トカラ列島の話がからむ松竹映画「なつかしい風来坊」(1966年)
?(http://www.asahi-net.or.jp/~hi2h-ikd/film/morisakidata/cp004180.htm)(https://youtu.be/YBBo6zNHSX8)の源さんがモデルであると仮にすると、実相寺監督の南方諸島やひいては沖縄への眼差しに応える意味で出演されたとも思うのである。
なお、"風来坊"は、セブン初回にもダンのセリフに出てくるものであり、金城さん自身を表現したものと解釈する。
実相寺監督と金城・上原さんらは、意外と近い仲であったと思う。
 

「地底GO!GO!GO!」と「ノンマルトの使者」

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 6月 8日(金)04時27分10秒
  ウルトラセブン「地底GO!GO!GO!」と「ノンマルトの使者」は一対のものとして考える必要があるのではないか。
ラストナレーションは、次のようになっている。
「地底GO!GO!GO!」(上原正三脚本)
(http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page17.htm)
『それにしても、あの巨大な地底都市。あれは、一体何だったのでしょうか? 宇宙人の侵略基地だったのでしょうか。いやもしかすると、我々地球人よりも遥かに昔から地球に住んでいる、地底人類の文化都市だったのかもしれないのです』
「ノンマルトの使者」(金城哲夫脚本)
(http://www2.u-netsurf.ne.jp/~okhr/sight7/page42.htm)
『それにしても、ノンマルトは本当に地球の原住民だったのでしょうか? すべてが消滅してしまった今、それは永遠の謎となってしまった』
両者に共通する先住民という問題への意識は、偶然とは思えない。また、地底都市と海底都市という”底”への意識は沖縄的である。(http://okivel.com/niraikanai/『ニライカナイは地上に存在するわけではありません。ニライカナイは地底や海底に存在するという説もあります』)
そして、地底や海底を開発するということへの問題意識も共通している。
2つの作品は成立の時期・状況が違い、後者が前者をヒントにしたとも言いにくい。
 

(無題)

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 6月 1日(金)06時19分4秒
  「月城物語」は、国立劇場おきなわで以前公演されたようだ↓
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/15c11a2bdabfcfc625a87c3ddcaf98d8

「月城物語」は、通りがかりの漁師が弁財天によっていわば“変身”し、神通力をもってモンスターのような蜘蛛をやっつけて娘を救うというもので、ウルトラマンのような発想でもあり、南海の怒りにも通じるところがある。
“蜘蛛”は沖縄を苦しめる或いは苦しめてきた様々なカの象徴と言えると思う。それは、古い因習や薩摩支配、米軍基地、台風、伝染病など様々であろう。それが観客に共感を呼び、大きな人気を得ることに繋がったのだろう。

ウルトラシリーズは、広い意味での沖縄芝居の影響を受け、我々はそれを見ていたのかもしれない・・・
 

乙姫劇団の影響

 投稿者:紫藻  投稿日:2018年 5月 1日(火)17時39分58秒
  「女だけの『乙姫劇団』奮闘記」(講談社)には、乙姫劇団の歴史や凄い人気が書かれている。
それによると、映画「吉屋チルー物語」主役の清村悦子さんは、1958年、「月城物語」(つきしろものがたり)の舞台で三女(真珍金)の役で舞台をされており、美貌と演技を注目され稽古にも励んでおられたが、間もなく結婚され退団されたということになっていて、リバイバル公演は1972年となっている。
清村さんは、同じく1958年「黄金城」という芝居では主役(豊見城若按司)をされ、立ち回りも素晴らしいものだったそうだが、この芝居が何と、金城さんの沖縄芝居代表作の「一人豊見城」ととてもよく似た内容である(!)
多分金城さんは、清村さんの「黄金城」に刺激を受けられたと思われる。
1959年元旦から那覇劇場で映画「月城物語」が上映されている。
なお、映画「吉屋チルー物語」の完成1963年に、乙姫劇団は、「ユシヤ思鶴」(吉屋チルーのこと)を公演しており、偶然なのか、互いに刺激があったのかわからない。
戦後間もなくから大活躍の乙姫劇団は毎年多くの新作作品を公演しており、金城さんにも影響したと思われ、その脚本にかなり反映されている可能性がある。
 

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